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2010.11.11

11月2日の夢日記

11月2日の夢日記

 wifeとどこかへ出かけ、帰りには二人で何故か電車で行くことになった。元来電車嫌いの僕が何故か「これで行こうよ。」みたいな感じで話したのが、夢とはいえ自分でも驚きを隠せない。

適当に進むというのは表現としては正しくないのだろうけれど、おおよそ帰路を順当に辿っているという意味で幾分進んだあたりという風に思っていただきたい。夢なので何故?何?は当たり前なのだけれども、当然の如く違う路線に乗り換えていた。たぶんJRなのだろうという記憶だけが残っている。銀色の車体にオレンジとかグリーンのラインが入っている。一見新しい最近の地下鉄のような車両に聞こえるが、実際は地方列車という印象を想像するとわかりやすいかもしれない。

 進んでいくとだんだんと見慣れない景色や駅名が見えることとなる。通常ならば、ここでどちらかが(この夢にはお子は出てこない)あれ?なんてことになるわけで、次で止まって確認しようとか、もしくは引き返そうなどと行った具合になるものである。しかし、そこは夢。「やばい!ココはまったく違う場所だ!」とやや焦る程度の距離まで進んだときにやっと重い腰を上げたという具合であった。

 降りた駅は橋の手前であり、高架になっている。ホームは地上の入り口からいうと3階か4階相当の高さで、外から見ると線路は無機質なコンクリートに覆われている。高架を支えるコンクリートの柱は新幹線のそれに近く、駅舎の部分だけがやや新しい作りになっている。肌色というか、ベージュに近い外壁を持っていて、お店が数店はいっている感じだ。駅は小高い丘の上のようであり、乗ってきた電車の進行方向には大きな川がまたがっていて右側は木々で遮られていてよく見えない。そうはいっても山が広がっているという感じではなく、そのあたりの土地でいうところの最高地点付近に駅があるようで、ほぼ開けた景色を一望できるような高所であることはそのときにわかった。ホームにはあまり人気はなく、田舎が旅番組で出てくるような印象に非常に近い匂いを持っていた。ただ、施設自体は非常に新しく、そのちぐはぐさを感じながらも夢の中の私は納得していたようだった。

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 この駅に着くまで、乗り換える最初の電車では右側に座っていた。地下鉄かどうかもわからないのに、景色は地下鉄のものだった。明るくなったと思ったときには、高架の線路を走っていたようである。いつの間にか徐々に登りになっていたのには気がつかず、名古屋の地下鉄東山線のように「あれ、こんな高いところ走ってる!」という感想が一番近いかもしれない。乗り換えたときは、幾層にも入りくんだ地下通路を長いエスカレーターを使って移動してやっとホームにたどり着いた。そういえばそのときまた暗闇の中に、つまりは地下深い場所の路線に変更していたのかもしれない。人の数もそれほど多くはなかったような記憶だ。

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 夢というのは不可思議も可思議にしてしまう。神妙な事柄も、息をするのと同じように、自然の摂理と同じように、ガラスのコップを落とすと割れるのと同じようにして、それは当然の結果であって疑うということがない。夢を見ている自分を客観視している場合が多くて、俯瞰であったり、自分目線であったり、ときには相手目線であったりするのだ。だから自分の背中を夢の中ではみることが多いのだ。写真や映像以外で自分のある意味、目でもってはっきりと認識できる自分の背中は夢ぐらいしかないのではないか。そうして、不思議なことに妙竹林な路線に乗ることになって、その大きくも巨大でない、規模でいえば店舗が何十件も入るはずなのに数件しかないなんとも不可思議な駅で降りることになったわけだ。

 こうして書いていると何か創作のように見えるかもしれないが(言い方を変えれば私の脳みそが作り出した創作なのかもしれない)、夢で見た話を書いているに過ぎない。起きてすぐさまノートに書き写したことで、それを読み返すと覚えている範囲でどんどん補完されていくから我ながら不思議なものだ。とにもかくにも、文章にすると長いのだけれど、ここまではきっと一瞬に違いないのである。話しを戻そう。

 北米の地方へ出かけると、街の作りは日本とあまりに違うので印象に残っている人も多いに違いない。まずは高い建物がほとんど無いこと、場所によっては電柱も見えない。それぞれの建物がある程度離れていて、ちょっと離れると舗装されていないところも随分と多い。必要かどうか、優先度が高いかどうかという部分が、はっきりと見える街作りがなされている。何故こんな事を書くかというと、駅を出た景色がそれに近いからである。先ほども書いたとおり、高い丘の頂上付近に建っている駅舎からは、遠くの土地や山をほぼ一望できるくらいの高さがある。反対側からみると、大きなロッジが建っているように見えなくもない。アルプスの少女ハイジにでてくる、『おんじの家』を思い浮かべてもらって、その想像を何十倍かに引き延ばしたようなスケールと風景だ。もちろん周りは岩が出ているところもあったりして一面芝生に覆われている。美しいアスファルトに覆われた道路ではなくて、恐ろしくきれいに整地してある砂の舞わない土の地面が駅前の一番の通りになるかもしれない。この駅前の賑やかな部分を過ぎるのにはほんの100メートルぐらいしかなく、その距離を歩いてしまうと自然しかないような景色が広がっている。緩やかに傾斜しているその道幅は広く、おおよそ3車線分はあろうかというくらいであった。

 商店街という名称が近いのか、駅前の土産物屋が正しいのかはわからないが、少なくとも雰囲気はその言葉が一番当てはまるのではないかと思う景色が広がっていた。ただ違和感を感じるのは、賑わいというかそういうものが無いこと。その駅の入り口正面から続く100メートルの間は絶えることなく建っているお店以外にはまったく建造物が無いのだ。人の往来も無ければ、その店の裏には芝生の広がりがあるだけ。どう見ても店舗兼住居にも見えないので、一体どうやってこの人達が生計を立てているかすら見当が付かなかった。誰を相手に商売をしているのかという無意味な店舗でもあったのだ。僕たち二人は何を思ったかここで降り立ち、そして駅を出てこの奇妙な商店の間の道をまっすぐと下っていく。

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 気温は春に近いだろうか、日差しは冬のそれだろう。紫外線がキツく日の当たる場所は皮膚を刺すようにジリジリくる。日よけになるものが周りにあるはずもないのに、何故か日陰は寒いくらいだということはわかっていた。どうして歩きで帰ろうと思ったかはわからないが、動物的感を認めて欲しい私の意味不明な希望もあったようだ。その動物的感は簡単に言うと方向感覚であって、何も特別なものじゃない。何となくこっちが南だとか、遮蔽物に遮られていてもそういうものがわかるのだ。その正確性はまるで周期があるように変動する曲者で、方位磁針と寸分違わぬ少々恐ろしくもなるほど正確な場合もあれば、日が出ているというのにまったくわからなくなるときもある。月齢に関係するほどオカルトでもあるまいが、とにかく夢の中のそのときは冴えていたのだ。大体の目安はついていたので、その方向が見える位置まで歩いてきたときに目をこらすと遠くに街が見えるのを確認できた。その街は都市で、大きな街だった。あの街に先ほどまでいたのかどうかは何故かわからないが、知っている大きな街だった。

 どこの街にもランドマークはある。目印、指標となる建造物だ。巨大な観覧車であったり、タワーであったり、集積するビル群であったりと、その形状は様々なれど目標と定めることができる場所である。ところが、そんな目印が見つからない。目印を見つけさえすれば、それを便りに歩いて帰るつもりだった。それが途方もない距離だとしても、あの時の自分の頭では区を二つまたぐほどの距離だとしか認識しない夢特有の感じでもあった。

 坂を下り、いうところの分かれ道まで来たときに、街とは反対方向の先ほどみた川側へ向かって歩いてみるとすぐに左にまた道が見えた。両方は木々に囲まれていて、そこを一本の道だけが延びているといった様子である。道の向こうはどうやら開けているようで、かなりの広さがある墓地だった。おおよそ夢というのはわけがわからぬものではあるが、墓地ということから怖い夢というわけでもなく、そう多くはない人が墓参りをしているのどかな風景である。時間にして、どこかの帰りであるはずのそれは二時とか三時とか、そういう時間のはずなのに対して、見た目の風景は午前中の暖かい陽光と新緑に囲まれた墓地の景色だった。

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ここにきてようやくというか、方向感覚に自信を持っていた自分にショックを感じていた。それに付いてきてくれているwifeには何ともいえない恥ずかしさと申し訳なさを感じていたのも事実だった。それでも彼女は一切そんなこと関係ないよ、楽しいねぇなんていいながらきっと僕を気遣ってくれていたみたいだった。

 見た目の風景は陽光と新緑に囲まれた墓地の景色だった。時間にして、どこかの帰りであるはずのそれは二時とか三時とか、そういう時間のはずなのに対して、午前中のようなぎらつく刺すような日差しもあるという実に不思議な刻との感覚だ。だからといって、実際は夕方のようなので、今から街に向かって歩いていったとしてもすぐに暗くなることは明白であり、そのようなことはこの知らない土地にでの行為としては危険なことでもある。元の道を街が見えている方向と反対に向かって進んでいったところで、ゴールデンブリッジさながらの巨大な端を徒歩で渡る上に、大体からしてそのような河川を渡ること自体帰路ではないのは分かり切っている結末である。素直に電車で戻ることとして、先ほどの駅舎の方へと来た道を再び歩き始めた。

 大きい道から先ほど下ってきた坂道に差し掛かる。ずいぶん暑くなってきた。汗がじっとり張り付くT-shirtが、その暑さを物語る。が、湿度は低いので端から見ているよりはずいぶんと快適にいい汗をかいている。ちょうど高原をウォーキングしているような感覚に近かった。一番急な曲がりくねった坂道を登り切ると、階段でいうところの踊り場のように一段落できる場所がある。そこからはくだんの商店街や駅舎も向こうに見え、ここいらで少々一服としましょうかという、お互いが何も言わずにそう思える都合のいい場所でもあった。

 ちょうどそのとき、何の気も無しに彼女は帽子を脱ぐと僕に差し出した、ちょっと持ってという事だった。暑いからちょっと休憩していこうといい、それを告げるとすぐさま脇にある日陰で芝生の乾燥しているところを選んでサッと寝転がった。その刹那、「ゴンッ」という鈍い音が僕の耳に響いた。心臓がばくばくいうほどに焦り、すぐに大丈夫と聞いてみた。明らかに勢いよく頭をぶつけたような音だった。芝生に隠れていて岩肌か何かがあったのかもしれない。兎に角、彼女が平然と目をつぶっているのが恐ろしかった。意識はあるのだろうか......無いのかもしれない。気絶しているのか、はたまたもしや!と考えを巡らしていた。聞いた音は乾いていて、骨がどうにか鳴りそうな音だったので、余計に心配になった。そうはいっても、時間にして一瞬の出来事である。しかし、夢なのでそこは時間をも超えた思考をしていたのだ。

 彼女は大丈夫と目を閉じたまま応えた。とっさに先ほど渡された帽子を頭の下に敷いてあげると、また深く目を閉じているように安らかな顔をしているのを見て、僕は幾分気分が楽になった。ただ、心の中ではさっきのは大丈夫なのだろうか?という、ちょっとした心配事は残したまま。

 どうやって帰ったのだろうか。まるで記憶がないのだけれども、次のシーンでは既に自分の家に戻ってきていた。夢の中の自分もあそこがどこかがはっきりとわからないのがいやらしく、記憶を便りにGoogle Mapで検索をかけていた。するとなぜか場所が特定、といっても夢の中だから詳細はわからないのだけれど、見ていた都市は関東地方のようだった。福島・山形と関東地方との県境のような感じ。それがどこかわからないし、イメージ的に名古屋のちょっと外れたところくらいにしか思っていなかったのに。

 そして、ふと思い出されるのはあの「ゴンッ」という鈍い音。それをまた考え始めて気持ち悪くなり、でも大丈夫だったしという繰り返しを数度行って目が覚めた。

夢って変なんだな、意味がわからないんだ。
でも、今回はこうして細かい字で眠たそうに詳細にノートを取ったおかげで、読み返すとある程度思い出された。ただ、夢の中での出来事は大して長い話しじゃないんだ。今回もそうだった。一応記録だし、いいのだ。

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