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2004.06.23

各娯楽メディアの時間対価

カテゴリ分けとして”趣味”としたが此に当てはまるかどうかは判らない。で、今日は休日。月曜日から今日にかけ、DVDを三本見た。

『The CORE』・『英雄』・『BLADE』の三本だ。それぞれ全く違ったが単純に楽しめたようにおもう。ただ、Layla本人は、非常に感情移入が激しいので(笑)、つまりいつでも主人公になるので、『英雄』はちょっとなぁ~という感じだ。全部よかった事には変わりないけどね。

三本見終わってふと感じたことなのだが、一本に時間として単純計算すると6時間。映画は基本的には早送りしながら見るものではないから、二時間なら二時間まるまるかけて楽しむ。その二時間にその映画の起承転結があり、5W1H的な部分をもって理解するはずだ。ジャンルによっては、映像が主体であったり音楽が主体であったりと様々だが、制作側が意図した時間で完結するのは間違いない。この事は音楽メディアでも代わりはない。アーティストが作成した楽曲をその時間聴いて楽しむのだ。この両メディアにとっての共通点は”決定された間”だと考えている。

ちょっとわかりにくいかもしれないが、たとえば本というメディアの場合。雑誌等の時系列(ここではページ順という意味合い)にとらわれずによいものは除き、小説などに関してを考えてみた。読むスピードは十人十色、僅か数時間で読破してしまう人もいれば、数日にわたって読み終える人もいる。従って、文章による意図された”間”は連続して読み終える場合のそれと比べると、後者は読み手の”思案”や”それまでの余韻”をその時点での消化と比べながら読み進めるための相違が出てくる。この相違とは各個人の感想とは違うものだと付け加えておく。余計わかりにくいかな(^_^;)

で、映画:本と音楽に備えて映像を加えたマルチメディア。短時間に膨大な内容を取り込んでいることで、直感的なものが多い。二時間に受ける影響は強く鋭い。この場合視聴時間に対する価値は大きい。音楽:より短い時間となる。映画と比べて、その瞬間瞬間のインパクトは目からはいる情報がないために鋭さは少ない。よいものは違うが、平均的に短時間であるため、余韻や思いめぐらす時間は短いので時間対価としては小さい。本:読む時間が読み手に一任されるので、それによって大きく変化する。

ということになるかな。これは各作品ともに平均したものなので、音楽を聴いた瞬間脳天直下の衝撃を受ける作品もあるので一概にはいえないし、視聴を終えたその後の余韻を楽しむものなので、こんな事何の役にも立たない。なので、時間対価とした(え~っと、逃げです(笑)。でもまぁ、ふと思いついたこと考えてみるのが好きなので、今回はそんなふと考えてみた記事と相成った。


2004.06.11

自分のテリトリー

話をするときに、相手が少し近すぎると感じたことはないだろうか?私の場合は良く感じる。思うにそれがテリトリー(領域)なのだろう。

各個々人によってその広さは大なり小なりだが、私に関していえばそれはとても広めだ。つまり許容範囲が狭い・キャパシティーが少ないということだと思われる。公共交通機関(地下鉄やバス)などには、よほどの事態に見舞われない限り乗らないので、前にも述べた混雑しているところが苦手という度合いも少し和は納得していただけるはず。もっとわかりやすい例でいえば、空いているベンチに二人が腰掛ける際の真ん中のスペースであり、公衆トイレの小便器への歯抜け的配置でもよくわかる。

職場でいつも一緒に働いているA君と話す際には、お互いほどよい距離を保っているのが判り、それが二人の距離(その個人の持つ領域半径)の”和”である。一方、Bさんと話す場合、私には嫌だと感じる距離まで接近されるため、つい顔が正面から逸れて視線も必然的に少し斜め気味になってしまう。この場合、二人の距離は一部重なってしまっているために”和”ではない。しかし、これは私からの感覚であって、Bさんにしてみればほどよい距離なのかもしれない。

これら各固有のテリトリーは、なかなかどうして他人には理解しがたいものである。たとえば広めの私の場合は、その領域内に入られると、相手に対してよい印象を持たない傾向にある。具体的には、圧迫感や威圧感、場合によっては気持ち悪い感覚を覚えてしまう。反対に、狭い場合(これは憶測にすぎないが)は比較的オープンな人が多いように見受けられる。近い方が親近感を持つのかもしれない。その領域の大小はそういった要因で決まっているのだろうか?少しばかり自分自身について考えてみた。

私は、小学生の頃は活発系でクラスの連中からは”面白い”とか”話しやすい”とかいわれていたタイプである。よく考えてみれば、そのころは近づいていく傾向だった気がしないでもない。その後、イジメを経験をする。口は災いの元の典型的なパターンで、実質2年ほどで本人的には3年間引きずった。この頃を境にして、口数が減っていく。口数が減るといっても基本的に調子に乗るタイプであることには変わりないので、「しまった!言い過ぎた!」と思うこともあった。この頃に少し潔癖性になった。それまでは信じられなかったことが現実になり戸惑ったのを覚えている。そして、先の領域が拡大していった時期とも符合する。現在に至っては、やはり大人になったのか(笑)、相手が嫌かもしれないと予測される文言は、極力話さないように勤めている。旧知の友達と話をしたときに、「やさしくなったね」といわれたのがその現れであろうと考えられる。つまり、その領域範囲が幾分狭まったということだ。だが、周りの人間からしてみれば、やはり”広い”のかもしれない。

 環境の変化
私は田舎者であるのだが、現在住んでいる場所と比べてみれば言葉のイントネーションがほぼ正反対である。おまけに最初の頃は、以前には意識していなかった方言が全く通じないことに気づき、意思疎通が困難なことから、自分自身で現在の言葉にあわせていった。当初はアナウンサーみたいだと笑われたが、今では無意識にこの土地になじんでいる。だが、困ったことに、帰郷したときに話すもイントネーションや表現が”混じる”のだ。今普通に話す言葉は、実際に汚いと呼ばれることが多い。しかし、私の故郷はそれとは天と地ほどの差で”より汚い”のだ(笑)。よって、彼らからしてみれば、軟らかい表現で、音も優しく聞こえるのだろうな。ありがたいことに、彼ら限定ではあるが、距離感が狭まった観がある。これを現在の環境にも持ち込みたいとおもっている。

 あくまでも私の考え方だが、個人の領域というのは、テリトリー(縄張り)だ。動物などにとっては絶対不可侵であり、侵入者には牙をむく。しかし、私は人間だ。よって、その領域はある程度コントロールが可能で寝室には入れないが、リビングにはどうぞいらっしゃいでありたいと思う(変な表現ですいません)。理性によっての難解なこじつけが生みだした”コントロール”ではなく、己の大きなキャパシティーによる余力での”コントロール”で・・・。


なかなか、こういう話は実際にはすることができないですね。テーマもそうですが、理屈っぽいところもやはり敬遠されてしまいがちですし。そんななかBlogは文章主体でいけるので、じっくり自問自答する手段に使ってみたりでき、個人的にはありがたかったりするもの。こんな偏屈なBlogを見てくださる皆様には、つきあわせてる感”大”なので申し訳なくおもいますが。あっ!でも、ありがとうございますね!いつもながら脈絡もなくだらだらと駄文を書いていますが、これからもよろしくお願いします。

2004.06.07

名古屋市博物館にいってみたぞい

カテゴリ選択でおそらく一番近いと思うものが”趣味”であったのでそうした。で、行ってきましたよ、名古屋市博物館!

特別展 マンダラ -チベット・ネパールの仏たち- 

なぜか惹かれる”マンダラ”の音(おん)・・・。なぜマンダラなのか、なぜ四角と円形の幾何学模様なのか、なぜその位置なのか等、全く知りませんでしたが、ある種神秘的というか異様ともいえる独特の雰囲気に興味があったので、実際にこの目で見てみようと思い初めての博物館に行くことになった。

Laylaは新聞を取っていないので、ニュースといえばインターネットやラジオ、テレビの報道番組が主である。そのためか、このような特別展などの限定モノなどは開催されていることすら知らないことがよくあるのだ。今回は上司に当たる人物にマンダラ展がやっていることと、チベットから実際に僧侶の方が来てあの”砂マンダラ”の実演を行っているということを聞いたのがきっかけであった。そんなチャンスは滅多にないということでWEBで調べてみれば、残念な事に五月中旬に作業は終了とのこと。しかし、完成した砂マンダラは展示されているということなので日曜日に行ってみることにした。

残念ながら天気は雨模様。だが、駐車場代は300円・特別展の拝観料は、常設展示物も含めて700円とそんなに高くない。何よりも人混みの苦手なLaylaにとってはテーマパークのようにごった返した様なのとはうってかわって、静かに鑑賞する博物館の客層がありがたかった。そして、いざ館内に入っていくと、比較的ゆったりとしたスペースにそれらは鎮座していた。

マンダラだ。まず目に飛び込んでくるのは先に挙げた僧たちが作った”砂マンダラ”。これは、凄い。テレビで見るのとは違い、迫力さえ感じたというのが正直なところ。大きさもかなり大きく、色使いも実にダイナミックな代物だ。特にチベットのマンダラは非常にカラフルなのが特徴で、その色彩の豊かさはインドのそれと比べると蛍光色寄りな印象を受けた。また、一般的にマンダラの中心に座すのは、宇宙観世界観の中心である大日如来などが日本密教などでは有名であるが、現在の我々日本人がイメージしているマンダラ観はあくまで日本人の物であり、元々の意味合いや各地方や時代によって、その位置や置かれる対象は違う物となっているのも初めて知った。

例を挙げれば、母神などの女神のみで構成されたものもあれば、すべてがシンボル化(鬼女として知られるダーキーニーだと肉切り包丁)してあるものもある。

仏像やシバ神の像(とある神を踏みつけて踊る有名なやつです)等もあり、非常に興味深く楽しい時間を過ごせた。博物館というと何か特別な場所という雰囲気を感じるが、実際いってみた感想は、年齢層はやはり高めなものの若い人もちらほら見受けられ、予想とは裏腹に気を張らなくてもよかったというのが一番。自転車と三輪車で近所に住むであろう親子がやってきたのが何よりの証拠ですね(笑)。親子連れも参加が可能なちょっとしたイベントなども多く、建物の仰々しさとは反対にとても親近感が持てたのが意外にうれしかったり。

ちなみに、砂マンダラ作成の様子はビデオで見ることができるので、見られなくてがっかりという部分はそんなに無いですよ。実際に見逃したLaylaがいうのだから間違いない・・・はず。この特別展は、7月4日まで開催されているので、一度も博物館に行ったことのない方々で近県や近くにお住まいの方、また名古屋市に来る予定の方がいらっしゃるのであれば、一度立ち寄ってみてはいかがだろうか?博物館を後にする頃には、曼荼羅の不可思議な部分がマンダラの不可思議な魅力に変わっていることに気づくはずですよ。

2004.06.04

記事を挙げることでネタが見つかる

少し間延びした感もあるが、また記事を書くことが増えてきている。そんななかで、気づいたことがあったので少しだけ。

記事を書いている最中、ふと「今度はこの事についてもっと掘り下げてみよう」とか思い立つことが多々あり、その際には文中にも、『いずれまたの機会に』などど記している。いつだったか、ネタが無くて何を書いたらいいのか等といっていたが、意外な発見だ。

しかし、ネットサーフィンすると時間を忘れるし、書こうと思うとかなりの量になるわと、なんだかんだうまくいかないものだ。

2004.06.02

自分の乗っている車は三菱製だ・・・

ことが明るみになって以来、ずいぶん日が過ぎ去ったが、「またか!!』という感じだ。Laylaはこの機会に述べておくが、ホンダ党である。熱烈な支持者諸兄らからはお叱りの言葉もあるかもしれないが、現在は三菱のekスポーツに乗っている。そのことはまたの機会にして、今回は三菱自工についてだ。もちろんリコール問題。

リコールがでることは何も問題ない。きちんと検証した上で、その時点で流通している車両に重要な欠陥が発見されたということで、無償で改良・交換してくれるのだから、ユーザーはより安心して愛車に乗れるというものだ。ただし、今回の三菱はどうか!?問題外である。組織ぐるみの隠蔽工作が明るみに出てなお、また同じ過ちを犯している。あの異国から来た社長さんも、記者会見の場で怒りをあらわにしたのも頷けるというものだ。社の長としての責任はあるかと思うが、他人の尻ぬぐいにも限度がある。あの怒りは一人の人間として当然のものだと思う。

ことの大小を問わず、車に関わらない人間はほとんどいないといって良い。自らが乗車するしないにかかわらず、今や物流にはなくてはならない存在だ。そんな人をコケにしているとしか思えない。今回の二十件がいったいどういうものかが現時点ではわからないので何ともいえないが、おおよそ一般的な人たちは三菱HUSO(トラック・バス部門)の問題は普通の小型乗用車のイメージにも直結している。それが今回の30%減という販売台数が如実に表している。おそらく関わった人間は多数いるだろう。彼らに対する処分はどうなのかは知らないが、調査した上であきらかに隠蔽の意図を示唆したものには懲戒免職にすべきだと思う。

よく車は一歩間違えば凶器になるというのを良く耳にするが、言い方を変えれば免許さえあれば持てる殺人マシーンでもある。極論というものは危険なのでいけないのかもしれないが、敢えて言ってしまえば、フルスロットルで繁華街の歩道を突っ切れば、簡単に人の命が失われるという結果が約束される。

もちろんそんなことは誰もしない。皆、安全運転を心がけて、遊びに仕事に自動車を健全に利用している。しかし予期せぬ人間のミスや偶然によっても人は事故を起こしている。事故を起こす者の中には、無謀な行為によって自ら引き起こす類もあるが、彼らには一切の同情はしない。他人が巻き込まれないのをただ願うばかりだ。

おぉっと!本筋からそれてしまった。それでは今回の場合はといえば、結果的に事故を引き起こす原因があることを知っていながら放置したということだ。現に死亡事故も発生している。自動車の部品もそうかもしれないが、三菱自工の一部の欠陥社員にたいしてもそろそろリコール届けだした方が良いんじゃないのか?

ディーラーの人間は大変な思いをしているだろう。ユーザーの怒りの矛先はまず販社に向けられるのだから。メーカーは偉いんじゃない。作っているだけだ。あの微妙なラインアップを死ぬ気で売ってきたのは、販社の社員たちだ。ふんぞり返っている一部の者たちは、彼らと国民に心から詫びて感謝し、新入社員の時に感じていたあの志でやり直せ!

2004.06.01

初めて復元ポイントのお世話になった(汗;)

 まさにこの書き出しの5分ほど前に、WindowsXPの復元という機能に初めて世話になった。結果的に大変助かったが、こんな機能があるとは巨人といわれることもあるものだねマイクロソフトよ。

ことの発端は先日(5月31日)のこと、PCを起動してからサクサクッとネットサーフィンを一通り楽しんだ後、またLaylaのいけない癖がでてきて、Windowsのサービスをいじくり倒していた。そう、この”サービス”というのは、Linuxでいうデーモンプロセスみたいなもので、バックグラウンドでセコセコと動作しているプログラムだ。こいつらは実に有用な機能をそれぞれが有しているものの、使用するユーザーによっては無駄にメモリを消費する無意味なサービスもある。
 そこで、いじくり回した結果として、どれだけパフォーマンスがアップするのか検証してみようということだった。完全に自己満足な話だが、Laylaの飽くなき探求心はとどまることを知らないのであった(笑)。もちろんサービスに手を出すきっかけがなかったわけではない。HDDの増設だ。なぜ!?と思うかもしれないが、今回増設したのは初めてのSATA(SerialATA)であったが、起動時間が大幅に長くなったのがどうしても気になり、Windows自身の環境整備もかねて、ありとあらゆる部分をさわっていくうちにサービスにたどり着いたというわけだ。

 ちなみにLaylaの環境はといえば、OSはXPProfessional・メモリー512MB・Pentium4の1.8GHz。自作機です。ま、win機についての変遷はいずれ書こうかなと考えていますが、それは後ほど・・・。

変更していった部分は、まず音関係。起動終了は無しで、基本的にはメール・警告音・メッセンジャー(いやぁ~、友達いないから起動させてないけど^^;)などの音など。画面に関しては、ポップアップヒントがONで、他の視覚効果のたぐいはほとんどOFF。以前知り合いにウィンドウズ2000を譲っていただいたので、パッと見の画面構成は2000ライクな感じ。結構ヘビーなOSのわりにサクサク動いてくれていたのだが、SATAを入れてから起動が遅くなった。そこで、まずはBootVis.exeなどのツールで試してみた結果、導入以前と比べ15秒ほど長くなっていた。ここで、最適化を行いある程度は良くなったものの、何となく気に入らない。そこで、今度はせっかくだからとサービスを次から次へ地試していったのだ。

 確認もせずに・・・

今日起動して、メールチェックしたらインターネットに接続されていないとダイアログが表示された。すかさずサービスを確認するもどこをどう変更したかさっぱり思い出せない(ここで、スキルが低いことが露呈したわけだ(笑)。そんなときに、孫の手のごとくかゆいところに手がとどく機能がシステムの復元というわけだ。幸いにも、記録されていた復元ポイントは、29日。この日にとあるプログラムの削除を行ったために自動的にポイントが設置されたようだ。結果的にものの数分で見事環境は復活。マイクロソフトに感謝な今を過ごしている。

*今回の反省点   レジストリ等、設定の変更は自己責任で、変更する前には必ずバックアップをとるべし

          疲れた~ (T_T)

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